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この世は男と女のみが存在する。なぜその枠を越えた思想が必要であろうか。男と女はそもそも異なる人種である。多いに女を攻略していこうではないか!

男の悟り

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日本の女性が追求している美とはまさしく「娼婦」の美
よく可愛い子が彼氏と長続きしないとかいう話をよく聞くが、まさにこの事実に気付いていないからだ

自分の中で思っている見た目の可愛さを追求すればするほどその程度は強まり、
結局早く金持ちの男と結婚したいという流れになる

最近恥ずかしながら中国女性の魅力にはまってしまっているのだが、
中国女性というのは本当に純朴でかわいらしい

言うなれば少女がそのまま大きくなった感じ
スーパーロリコンな私にとってはたまらない

中国人女性の魅力を自分なりにいろいろ考えてみたが、どうも見た目を強調するとかではなく、
”一生大事にされたい女性”というものを考えているらしい

中国人女性は恋愛というものにすごく真剣で、付き合ったたらそのまま結婚と言う例も少なくないらしい
そういう意味でも毎回一生大事にされたいと思って付き合っているわけだから、可愛く見えないわけがない

日本人はそこら辺が非常に冷めている
相性などという努力でなんとでもなるものに当てつけ、恋人とうまくいかない理由をもののせいにしようとする
そんなことでは一生”愛される女”なんかになれる訳がない

また中国人女性は基本的に無宗教だから、いまのこの生を大事にしているのではないかと思う
それに対して日本人は仏教による死後の世界を強く信じるあまり、今の生をないがしろにしている気がする

強いていうならば、日本女性の魅力はその「せつなさ、悲壮感」といったところだろう
そんな「後ろ向きな」気持ちで真の美しいオーラを出せるわけがない
そういう意味でも中国女性はハートが強く生きる気力に溢れている


「生まれてきたことを後悔し生きる希望も無くして無理やり子供や家族にその生き甲斐を見出そうとする」


俺はそんなやつと結婚なんてしたくない
お願いだから自分のために生きろ
未来を見失っている瞳になにも魅力をだすことはできないぞ


男どもにも言いたい

確かに日本の女性は、後ろ向き悲壮感オスの欲望を刺激するまさに「娼婦の美」に未来を見出そうとしてしまっているが、
本当の究極の”いい男”になりたいのであれば、”一生彼女を大事にします”オーラとその術を磨いてくれ

究極のいい男とは、

・”一生大事にされたい女”を磨いてる女性を見つけられる
・そしてその”良さ”を十分にわかる
・実際にそんな彼女を”一生大事にできる”能力がある(磨いている)

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このサイトでは女を動物のような言い方をしているが、
決して人間として扱っていないわけではない

交際が始まればもちろんそれは人間と人間としての付き合いになっていくが、
交際後の話ではなく、それに至るまでのことだ

つまりそれは”恋慕”という感情であり、「恋慕=女」という前提での話だ
そういう意味においての話であり、その限りでは全く女の感情をまさに”弄ぶ”わけである

女側からすればそれは「ひどい扱いだ」と言うが、そもそも扱っている領域は非常に変わりの激しい部分での話であって、
人間としての付き合いの部分には含まれない分、その見解は少しおかしいのである
なので存分に女(付き合う前時点での)を軽く考えていいのである

ここで扱っているのは要するに”女感情”であり、その感情の動きをさまざまな仕掛けによって変化を楽しんでいるだけである

仕掛けに対する(女感情の)反応、ただそれだけである
その”うわべ”の部分だけであり、人間的部分はまったく除外している
君は夢を見るだろうか
まさに眠っているときに見るあれだ

君は夢の中では結構思い切ったことができるのではないだろうか
それを思い切ってこの”現実”にやってしまうというのはどうだろうか

自分が思うに、その半分自分を捨てたような”ヤケクソ的思い切り”が出来ているやつは、
何でも成功しているのではないかと思う

誰になんといわれようと、多少カッコが悪かろうが、完全に自分のタガを外しすことで、他と完全に一線を凌駕するような素晴らしさが出るのではなかろうか

恥ずかしいとかなんとかいう言い訳を述べる前に、全部やってしまうというのはどうだろう
女が欲しければ、片っ端から自分の携帯番号を名刺かなんかにして渡してしまうというのありだろう

なんでもやっちまったもん勝ちじゃあないのか!
第一印象のことを言っているのではない
むしろ逆で、第一印象というのは単に「見た目の雰囲気」だけを言っているのであって、
逆に最初というのは、新鮮さと緊張感が強く出るので、多少の矛盾点は勢いでカバーできるという利点がある

何がいいたいかというと、多少理想的な面を崩してでも、最初の瞬間にどれだけ次へのパスを残せるかということである
女という生物は今日良い印象を持っていても、次のときにはそうでもないなどということが多々ある
つまりその出会ったまさに”その時”に仕掛けを作るべきである

今は「すぐにはいい案が浮かばないから日を改めて」などと言っていると完全にチャンスを逃す
多少かっこ悪くても次への具体的な何かを残せ
多少強引でも勢いで仕掛けを作ってしまえ

その瞬間というのは逃したら二度と訪れることはない
女のこころは秋の空だ

相手に対して何も望んではいけない
すべては結果の状態がすべてだ

確かにプランや策を練るのに展開のイメージは必要だが
それに対してちょっとでも妄想的な期待感を抱いてはいけない

どうしても人間は期待が先走ってしまうが、対人に対してだけはそれに依存してはいけない

期待をするなというのは確かに難しいし期待が適わない絶望感もとても苦しいものだが、
だからといって「期待通りの反応」が出るものだけを求めるような人間ではいけない
その辛さを拒んでいたら何も発展することはない

期待感を欲望ではなくあくまで”憧れ”の感情に変えるべきだ

女の気持ちというのはころころしていて、ドタキャンなど日常茶飯事である
それに対して毎回歓喜と絶望を繰り返していると体も持たない

あくまで期待感ではなく、目の前の結果の状態に対してだけ現実的な満足感を感じるべきである
約束の時点だけではあって無いような状態だと認識した方がいい
少しでも期待感があるとその都度の絶望感に心を支配されその都度の最良の臨機応変の対応ができなくなる

「目的」になってはいけない
目的意識を少しでももってはいけない
女と男との全ての関係は”ゲーム”である
これは仕事でもそうだがそうあるように「する」のではなく”方向を向くように仕掛けてみる”だけである

自分が仕掛けた種や仕掛けに対して”どう転ぶかどう転んだのか”反応を楽しむだけである
すべての事象に対して、「期待通りの満足」を求めてはいけない
そこにそもそも「期待」という感情を入れてはいけないということである

「何かをしたいという想い」は全て”この反応を楽しむ”感情に変える必要がある
だからこそ人生は「何が起こるかわからないから面白い」のである
何度も言うが、人生は楽しむためにある

とにかく自分が仕掛けたその現実的な反応だけを楽しむようにしろ!

最近とある理由から中国人女性をくどきにかかっているだが、
そこで感じるのは、今の日本は過度に「色に酔いすぎている」感があることだ

中国人は非常にまじめで、昔からの儒教のせいか異性の人間性をまず観察しようという風潮があるようだ
容姿よりはまず仕事はどの位できるのかなど、非常に現実的なところをみるらしい

そこで思うのは、中国人にも日本人にも好かれる男であれば、それはかなりのレベルなのではないかと思う
仕事や性格といった部分は、隠す事のできない素の自分、いわば裸の自分で勝負しなければならないということだ

「仕事もできて思いやりがある」というのはきっと同性にも好かれるだろう
やはりそういった男は実際女にもモテる

いくら着飾ってその部分を評価されても、一向にむなしさは消えない
しかし、自分の仕事や人間力で認められたときには、非常に満足感と充実感がある

では真の人間力を鍛えるにはどうしたらいいか
それは簡単なこと。”他人の手助けをすることに喜びと生き甲斐を感じる”人間になればいい

職場で仕事をしている者にはわかるだろうが、結局いくらすごいスキルと生産性を持ち合わせていようが、
仕事というのは、その仕事の依頼主(ユーザでもいいし上司でもいい)を”喜ばせる”ことが全てである
これを意識していないやつは、いくら成果をあげようが思ったような評価をもらえていないはずだ

リーダークラスであればわかるだろうが、結局仕様などはユーザの顔色一つでどうにでも変化する
ユーザの満足度が高ければ、同じ分量をこなさなくていい場合もあるのだ
結局こういった、”相手を満足喜ばせるためのスキルとモチベーション”が一番の原動力になりうる
そしてそこの部分にこそ評価されることが一番自分にとっても嬉しいはずである

この世の生きとし生ける人間達がこの世に生まれてきた理由というのは、

”より人間や生物達が過ごしやすい環境を作り維持することが全てのしるべとし、その作業・工程の中において各々の特性を生かして他を助ける為の智を磨きそしてそれを喜ぶ”

ことである

相手の手助けをすることに一番のモチベーションを感じろ
これは仕事術の必勝法でありどの分野でも成功する
そしてもちろん女にもだ

もちろん”色”も大事だ
仕事ができるだけではだめだ

人間は仕事(内面)とオーラ(色)の両方でもって、同性そして異性に認められようとするために自分を日々研磨するのである

女や男、欲望や老化といった事象の全てはこのために用意された機能にすぎない
どうやら女という生物は、男と違ってただ「やればいい」というわけではなさそうだ
少女漫画かなんかの影響かしらないが、恋愛というものを必要以上に美化しているようだ

まぁ出会いのシュチュエーションとかロマンスとかはわかるが、
もう少しつっこんだ、「人間」としての関係を求めるようだ

いわゆる「男の友情」の女版を恋人に求めているのだろうか
女の世界というのは意外と関係が希薄であるようだが、その中で満たされない心の溝を埋めようとでもしているのだろうか

まぁ、実情はそんなところだろう

男諸君。坊さんやカウンセラーにでもなった気持ちになってくれ 聞いてやってくれ
そういった社会の性質がそれらを呼ぶのであって、彼女らの問題ではないところをわかってくれ
女は寂しがりやでそんな埋まらない友情感情を男に求めているのだから
自分に気の無い女を落とすのは、非常に難しいがとてもやりがいのある行為だ
そして忍耐力とさまざまな知恵も身につく

自分がイケメンで向こうに気がある場合に口説き落とすのは簡単で確かに楽だが、実際そこからはなにも生まれない
そういう恵まれた者達は意外と自分の欲しい女を手に入れられていない
イケメンや可愛い子に深みが無いのは、そういった苦労がないからだ

まぁ相手に気に入られようとまず「容姿」を磨くというのは確かにあるのだが、どうしても一抹の限界がある
そもそも最高の状態だけを彼女に見せつづけるというのは現実的でない
またそれは過去記事でもよく言っているが、”突発的ビッグチャンス”に対応できないからだ

前記事で”種をまけ”という内容を記述したが,”理由を作れ”いわばそれの発展版だ

全ての事柄においてこの”理由”というのは最大限の説得力を発揮する
例え貧乏で金が無くても、自分にとって費やす理由のあるものであればそれは惜しみなく金を注ぎ込むことになる
例えば買い物をしていてどうしても欲しいものがあったとすれば、そのことに対し人は自分に”理由”をつける
また時には後で悔やまれることをした時などの自分への言い聞かせにこの”理由”(例えば「その時はその判断が正しいと思ったから」など)を考える
そう。逆に考えれば、この”理由”さえ通れば、どんなことでもできるのである

もうおわかりだろうが、次に繋げるというか次にアプローチをする”理由”を常に作っていくのだ
「ああ、それなら仕方がないのかも」と思わせればしめたものだ
女というのは面白い生き物で、昨日嫌いだったものが今日は好きになっていたりなんてことも実際にあるからだ
大事なのは、”脈”をとぎらさないということで、その継続の中で焦らず少しずつ関係を向上させていくということだ

とにかく焦るな
あせって一回のアプローチで色々求めてしまうと、相手が引いてしまうことになりかねない
とにかく君が彼女に話し掛ける理由が必要だ
どうしてもその彼女でなければならなければならない理由ほどいい
彼女が所有している事柄などの中でどうしても勉強したいことがあるとかそんなんでいい
なんならその彼女のために趣味や興味をひとつ無理やりにでも作ってもいい
「〇〇を将来的にやりたいから勉強したい」とかとっさにその時はまったくウソでも、後で帳尻をあわせばいい
次の日にその教科書を買い集めてなんとなく勉強すればそれはそれでウソにならないはずだ

「ちょうど勉強したいと思っていたので」→
「少しやってみたんだけど、ちょっとうまくいかなくて良かったら教えてくれたら嬉しい」→
「言われてみて完成させてみたんだけど少し不安だから見て欲しい」→
「参考書を買ったんだけどその程度を見てもらいたい・・・」

とかこんなんですでに3、4回のアプローチが無理なくできている
4回もあれば色んなことができるはず
例えば必殺の「お礼をどうしてもしたい」とかもできる
そこから色々趣味を聞いたりして、その好みの事柄をネットで調べたりして「いい店発見いきませんか」攻撃もできる

とにかく女という生物は”スマートさ”を一番に求める
この「〇〇なら仕方が無い」という連続がそれを実現させてくれる
いきなりデートに誘うなんてのは、もっとも品悪で深みの無い行為だ

モテる男というのは、このスマートなアプローチ術を熟知している
最初にかっこーをつけて惚れさす一辺倒男ではこういった芸当はできない
出来る男は、女自身が気付かないうちに口説き落としている
事は自分の力だけで成就しない

宇宙の力を味方につけたいなら種子をまけ
ゼロから成し遂げようとはせず、こちらに風が吹くように「きっかけ」を残しておく
よく「カード(切り札)を残しておく」なんて言うのがあるが、そのカードそのものをどこかに「植え付けておく」ということだ

「自分の状態が良いときに」なんて機会を伺っているようでは遅い
忙しい毎日で疲労もあり気が進まないという時があるが、
なんども言うがチャンスというのは唐突に現れるものであって
その瞬間になかなか全力を出せないものだ
そのためにせめての残りの力で持って「種をまく」のだ

例えばなんでもいい 
名刺を突然「落としましたよ」とか言って渡してしまうとかいうのでもいい
本当になんでもいいのだ

そこで諦めて0%になるか何かを行動して1%にするかは全く違うことだ
その1%が100%になることというのも決して少なくなくない可能性だ
いかにも「脈0%な女」であっても何が起こるかわからないのが世の中だ
そこで諦めずに挑戦してみた男が勝利している

その時とっさに最良な行動が取れなかったとしても、何もしなかったよりは全然いいという事だ
なにか行動を実際に起こしたことが重要なのだ
確実にパーセンテージは上がっているはず
平常心と機転は日ごろから鍛えておいた方がいいかもしれない

とにかく1%を大事にできる男になれ
「怒りはまったくの時間の無駄 楽しいことをどれだけ考えられているかが問題」

ということだ
怒っている時間というのは本当に無駄でしかたがない
モテナイやつできないやつというのは、いつも不平と不満を考えている
そういう感情というのはまた悪いことに結構長引く
そして全ての事象に対して面白くない方向に考えがいってしまう
逆にモテるやつというのはいつも前向きで楽しいことを考えている
”ここはこうしてみよう”とか”今度はああしてみよう”とかだ
そういうのもまたオーラとして滲み出ていたりする

電車の中でもそんな楽しみ方はいろいろある
よくゲームや脳トレとかで時間を「消費」しているやつがいるが、全くもったいない
例えば女のことでもいろいろ楽しみかたがあるだろう
まぁ何もなければ例えば、「この女と付き合ったらどんな感じなのか」だとか
「この年代層だとこんなことに憧れるんじゃないか」とか妄想してみたり
まぁ後は、例えばちょっとチラ目線を送って反応をたのしんでみるとかいくらでもある

つまらぬ目先の保身だけを見ていたら、そんな楽しみはなにも生まれない
常にこの瞬間には楽しいことを実行したり考えたりすべきだ
マイナス面は全くいらない 常に何かをやろうとしろ
日ごろの疲労回復とかに頭が行ってしまうようになると、それはどんどん守りに入っていくから気をつけるべきだ

「うつ」はそんな最悪の状態だ
私はうつ病を経験したが、うつの状態はまさに死に等しい
うつの状態は一瞬でも起こしてはならない うつに浸るなどとは言語道断
確かに疲れなどがでれば、気が塞がれそうになるが
そこはつねに「意識的」に気持ちを思いだせ
どんなに疲れていようが関係ない
うつは史上最悪の敵だ

怒りはいらない 人生は常に楽しんだ者が勝つ!
よく30、40を超えた当たりのやつが「昔は結構かっこ良かった」なんて言うことがあるが、
昔など全く関係ない
「今この時点でどうなのか」ということが全てだ

昔がもし良かったのなら、そのまま己を磨いていたら
今はきっと「もの凄く良くなって」いなければおかしい

見られるの常に現在の「結果」
その結果に対してどれほどの深みとオーラが存在しているのかということだ
作られた感性はいらない

「自分なりの」とか「人と違った」などといった幻惑思想に惑わされている者が多すぎる
”良い物”とは昔から何千年も変わってはいない
そう。結局感じるものの本質はなにもかわっていない

「真新しい感じ」とか一見して新鮮に移るかもしれないが、
本当の人間としての”吸引力”をつけたいのであれば、そんなものはいっさい捨てろ
作られたものには引力はない

「〇〇っぽい感じを演出したい」なんていうのはもっとも最悪なケース
モテるやつはジーパンTシャツネルシャツでも十分モテる
それはある視点から見ているからだ

吸引力を持つ感性とは”心が沸き立つ”感性だ
「なんかいいね」ではなく”すごくいいね”だ
常にその本質的感性を追い求めろ

何かを得ようとするとき人は予想された行動をとろうとする
そしてその予定通りが実現されたとき人は満足する
しかし人はまたその一瞬の迷いでチャンスの多くを逃す
大概チャンスというのは自分の予想していないときに訪れる

予定通りほどつまらないものはない
予定通りとは結果のひとつに過ぎない

人生は予想通りに行くことはない
ならば予想する自体を止めようではないか
結果を分析することは悪いことではない
しかし行動する間際に(その有益性を)考えてチャンスを逃すのはやめよう

全てはどう転ぶかわからない
それはときとして「悪い方向」かもしれないが、しかし反対に思いもよらない「良い方向」に転がる場合も多いにある
どちらかといえばその行動後または結果においての自分なりの「納得力を鍛える」方が現実的だ

また行動に対して「後悔」という言葉があるがそれはまさに先を予想そして期待してしまったことによる反動だ
思い通りにいかなかったときに人はそれをストレスとして感じ抱え込む
ならばそもそも思い通りにしようなどと考えなければいい

未来は神だけが知っている
所詮人間の頭脳ではこの宇宙法則にある未来を誰も予測することはできない
自分の予想のなかだけで行動するのであれば決して人を超えるようなことはできない
すべての結果を宇宙にゆだねろ

これは「行き当たりばったり」とは違う
「行き当たりばったり」とは受動的の発想であり、何もせずにその場に赴いているだけのことである
ここで言っていることはあくまで能動的なものであり、必ず自分から何かを行動を起こしているということである
「何かをしなければ何も始まらない」ということである

人生は博打だ
博打であれば予想が裏切られようが悔やむことはないし、また自分の成功に傲慢になることもなく謙虚な人間にもなれる
そしてより大胆な行動のできる魅力的な人間になれる

予想する人生はつまらない
予想している限りは今の生活そして人間レベルが上がることはない
人生は長くてたった80年しかない しかも一回きりだ
そんな短い時間を生きるのであるならば、どうせなら面白い人生を生きてみてはどうだろうか
 


人はその「感性」に惹かれる
商品やアイデアや企画といったものの原点もその感性だ
企画や商品がいいから売れるのではない
それに含まれている感性が良いから人はその感性を求めるのだ

他人より一歩リードしたいなら感性を鍛えろ
モテる服をいくら着ようとしても、服が同じならルックスがいいやつにかなうはずはない
それは個性を演出しろ言っているのではない
全ての作品はその背景や多くのキャパシティがあってこそ魅力的なものになっている

バンドマンスタイルをしたいならまずオリジナルバンドをやれ
コピーバンドはださいからやめろ
そもそもオリジナルバンドをやっているやつが着るからカッコいいのだ
サーファーなら丘サーファーはもうやめろ
偽ホスト系もださいだけだ
自分の好きな得意な分野の中の延長または関連するようなジャンルを取り入れ
それを服や見た目などに取り入れれば十分らしさと深みが出るんじゃないか
雰囲気というのはそういったところから出るもののはずだ
男はイライラしすぎる女は細かすぎる
「最良のパートナー」なんて思想は一旦捨てろ

よく男女間で言われるのが「なんでも話し合える仲」ていうのがあるが誰が言い出したんだろうか
そもそも男と女で惹かれあっただけのはずなのになぜそれ以上の(無いもの)ことを求めるのだろうか
そんなに人生相談でもしたいのならそういったセラピーや同性の友人の中で探せばいい
(なんなら俺が相談でもなんでものってやる)
嫌われたくない故に仲良くなっておこうとかいう腹なのか

「別れたらもう永遠にさよなら」なんてのもある
これもまったくもって疑問である
どうしてせっかく知り合えたのに無理にでも決別しようとするのか
今の恋人が嫉妬するからとかいうのもあるがそんな独占欲は意味をなさないはずだ
なぜなら今のその人物はそのすべての過去があって成り立っているからだ

男と女なんて友達感覚の延長でいいじゃないか
友人としての気配りがあればそう喧嘩などするはずもない
必要以上に詮索する必要もないし隠し事をあばく必要もない
携帯電話の中身を確認するなんていうのは言語道断だ

男も女も中身は人間である
人間としての付き合いを無視して自分の理想をぶつけてはそれは他人と関係をもっていることにはならない
自分の作り上げた「偶像」を拝んでいるだけである
逆に女だから男だから深入りしないというのも間違いである
人としてのやり取りを楽しむようでなければならない
このサイト内で「男と女はわかりえない」という発言をしているが
それは男性を女性的視点から女性を男性的視点から見ることはできないということである
もし結婚相手として相手を考えるのであれば、結婚とはまさに「苦難の道」であり
お互いがその半生の人生の中で男と女という(ホルモンの)性質を理解し共に成長していこうとできる人間を探すべきである
ほんと女という生物は人を「好き嫌い」の基準で判断するようだ
男を人ではなく完全にメスの対象としか見ていない
少しでも好みではない対象であれば、それは仕事であろうが客であろうがひどい扱い方をする
一方少しでも洒落込んで、見た目を良くしようならば別人のようにへこへこしだす
すこしでも男からまともな扱いを受けたいと思うなら、己のそこらをまず直すべきだ
だから男からしても女なんて「低脳な猿」のようにしか見えないし一個人としても扱おうとも思えない
女というものは本当にむかつく
だから女はいくらもがいても男社会に舐められるのだ
そろそろその女というねぐらでアグラをかくのはやめたらどうなのだ

昨今「ヴィジュアル(見た目)重視」というのか、顔や体のパーツにこだわるやつが多すぎる
テレビや写真の影響なのか、2次元的で平面的な感性だ
そしてその細部にこだわるあまり、自分の部分的な欠点を必要以上に悲観する
そういうやつがいざステージにでも立ってみると、オーラの無さが一目瞭然とする

人間は雰囲気こそ大事だ
3次元またはそれ以上の次元での感覚だ
個性が無いと言われるのは、こういったところにもあるだろう

パーツはそれはそれ以上どうしようもないものだが、
雰囲気やオーラというものは、いくらでも磨くことができる
雰囲気のないやつは、自分の世界に引き込むというような芸当はもちろんできないだろう
芸能人やモデルとかでもそうだ
いくらパーツが整っていたとしても、雰囲気なるものを持ち合わせるやつは少ない
恵まれているやつは返ってそのことにアグラをかき、それ以上のものを追求しようというきにならないのかもしれない

俺は「天才」より「秀才」の方がすきだ
英才教育だのよく言うが、そんなものは親の道楽にすぎない
秀才こそ人間の目指すものであって、あるものをただ利用(消化)しているだけでは、
何も生み出さないただの浪費家だ

秀才肌の雰囲気をもちあわせたいい男いい女は、これほど美しい存在もないだろう

いい女の条件といえば、「見た目」というのはあたりまえのことである
気持ちで解決できるはずの「あきらめデブ」はもちろん論外である

見た目というからには天性の…なんていって諦める女が多いが
結局女も気持ちと表情でなんとでもなるし、なにより男にはない最強の武器「メイク」があるではないか
例え目が一重であろうが、アイメイクつけまつげとかでどうにでもなるし
そのあたりをただ悲観しているだけの女は本当に醜い

しかし自分が思ういい女というのは、なによりも見た目もそうだが「知性」だと考えている
20代の女を注意深く観察していると、どうしてもその深みの無さだけが際立ってくる
早く若いうちに金持ちのいい男を捕まえて結婚したいみたいな女がうようよいる
己の人間力を磨き更なる高みの出会いを求めるといったようなイカス女はいない
自分からなにか世の中に貢献しよう働こうなんて意識はさらさらない
そう考えるに、ある程度年のいった女性の方がじつはいい女が多いのではないかという感じさえする

最高の女とは100歳の知性を持ち、少女の心をもち、美しさに貪欲であろうとする女だ

フェロモンは出てる、強い渇望もあるがどうしても結果がついてこない君
それはいわば「動」の状態が強すぎるのだ
簡単に言えば男の色気の「深み」がないということだ
ただ女が欲しい、やりたいだけでは上玉はついてこない
女の華やかさに対して男のそれは深みだ

自分は静と動は8:2位でもいいと思っている
静を鍛えるのはあくまで上玉をターゲットするためだ
それ以下のレベルの女は君にとっては単なる「お遊び」にすぎない
男なら常に志を高くもて

いままで述べてきたことは言わば「動」の部分だ
狙ったえものを捉える豹の目だ
しかしそれだけではとても深みの無い紙切れのような男にしかならない
どんなにいけてる服を着飾ってもそれ以上のものを出せることはできないだろう
しかし「静」を心がけ深みを持ち合わせている男は、同じ服を着ても全く違う雰囲気を醸し出すだろう
それはより「立体的」なオーラとでもいうべきだろうか

ではその「静」とはいったいどういったものかというと、まさに静かな部分
それは本能的なオスの部分ではないスタティックな部分だ
例えばそれは、
小川を観て”キレイだ”と思う感性であり
働く人間をみて充実感を読み取ったり
または家族や人々の労わりを感じたりするようなことだ
つまり「静かにしみじみと沸き起こる感覚」を大事にするということだ

なかなか静と動を意識して両方持ち合わせているやつは少ないが、
だからこそそういう人材が求められている
頑固で遊びのない堅物堅派なだけでもだめだし、ただチャラいのでもいけないということだ
適度な落ち着きは余裕と深さを表現する
深みを持ち合わせたいい男に敵はいない


やるのかやらないのか、やると決めたらぐぢぐぢ言わない

こういった基本的な人間力が無いやつが多すぎる
それは男も女も同じだ
俺はなんだがはっきりしないやつが嫌いだ
男の魅力はその気前のよさがあるはずだ

考えるに、迷ったときの理由付けが訓練されていないのだと思う
例えば何か物を購入するときでも、その対象が自分にとってどういった意味をもたらすのかを
ある程度瞬時に解答できなければいけない
決断力というのはもともと備わっている性格ではなく、日ごろからの訓練の賜物だ

現状を変えようともせず文句ばっかり言ってるやつ
決めたこと済んだことを素直に受け入れて、とにかく次何をするかを考えろ


キーワードは「フェロモン」


グラビアやAVなどの写真で女を美しく表現しようとしているものとはまさにフェロモンそのものだ
男を「欲しそう」な眼差しを全身から発生させる
なにが言いたいかというと、男も同じだということだ
結局女もメスであり、男のフェロモンを感じて引き寄せられる
女はよく「子宮で考える」動物というが、つまりこの男から発せられるフェロモンの相性を下半身で感じ取っている
男もいい女をみると(ムスコが)ピクッと反応を示したりするが、女もまったく一緒だということだ
(女の場合はピクジワッとでもいえばいいか。細かくはどうでもいいが)
かわいい子が男の群れの前に現れるとふと一輪の花が咲いたような感じがするが、男の場合のそれもまたあるということだ


ではフェロモンはどうしたら出るのかといえば、それは簡単なこと
思春期にある生物が自然にやっていること、ただ女(異性)を強く求める感情を発するだけだ
なんども言うが、発する感情は「欲望」ではなく「渇望」だ
体の奥深くから女を強く求め、その強烈な渇きでもって女の発するフェロモンを吸い尽くすようにするのだ
そうすれば自然と全身から滾るフェロモンを放出するだろう
女を落とす目はそういった奥深く滾る目力だ
お得意の先端を突っ込むようなイメージではなく、全体を覆い尽くすようなイメージだ
男は顔ではない、表情だ
表情で男度はいくらでもアップする


しかし難しいのは、フェロモンにも好き好きがあるようだ
いわゆる「きもい」男から発されるものは、拒否反応があるようだ
それは極論を言えば、ホームレ〇のよぼよぼのじじいが、びんびんで近寄ってこられたらきっと嫌悪と恐怖が先立つだろう
まぁ例えればそんなところだ
女は特に清潔感を好む
オタクがだめなのではなく、オタクは不潔でデブでタプタプしてしまりが無いのが嫌なのだ
そういったO型的大枠で捉える思考はこの際捨てよう
男は本来引き締まった男根のイメージだ
芯が強く信念をもち無駄なものはなく引き締まっている状態
それこそが女が求める究極の男像である


オタク的なのはだめというのでは本質を見失う
ブサイクがやるから「キモイ」になる
同じ事をイケメンがやればそれは「キモチいい」に変化する
飢えてる目もイケメンがやればかっこいい
女を欲しそうな目もイケメンがやればかっこいい
SMも変体プレイもイケメンがやればかっこいい
何をされてるかではなく、誰にされているかが重要なのだ
それがオス的にえぐければえぐいほどまた良かったりする
女とはそんな生物だ


とにかく男度的に「中の上」になれ 上の上である必要な全く無い
中の上には誰でもなれる
デブはまずダイエットしてやせろ
髪型は大事なので常に爽やかなイメージを保て
そして顔のパーツではなく、表情を鍛えろ
まぁ中身を鍛えれば自然といい顔表情になるだろう
そういうのが面倒だけど女が欲しいというのなら後は金をばら撒くしかないな


結局、いい男やいい女というのは「服に着せられてる」ようではだめだろう
服というのはそのデザイナーのセンスであって、その本人のいかんではない
まぁその服のチョイスが本人だと主張したいならそれでも構わないが、
どれも同じように見えてしまうというのは、こういったところが原因であろう

個性的な組合わせがいいというわけではなく、
その人の魅力をさらに引き出すような服であればよりよいということだ

まぁ簡単に言えば「ハジケテ」いるやつはなんかカッコいいということだ
なんとなくブランドイメージにたよって「これ着てます」みたいのではなく、
自分の気分や思想をより強調してくれるというような服の選択の仕方がとてもよい気がする

服や流行のメイクに着せられてるだけの女と付き合ってもなにも得るものはない
そんな女はどうせ「安定」だとかだけを男に求めてくるはず
どうせなら、すれ違う人が振り返るようなオーラを持った2人になるべきだ

周りにどう「思われる」とかではなくて、自分自身の中にある高みのイメージだけを目指して
それを追い求めるようにしてくれ
男ならリンゴは丸ごとかじれ
いちいち小さく切って食べるのは女の食べ方だ
メロンや桃なども小ぶりなら、ナイフで表面の皮を落としながら食べられる
「片手でナイフで皮を剥ぎ左手で果実を貪る」
これが基本だ
女は常に自分にない感覚をもとめる
しかし剛胆と雑は一緒にするな
繊細かつ大胆
女はその華麗な手さばきに惚れる
”女のいう優しさの本質はファザーコンプレックス”


女の言う「やさしさ(女に向けられるソフトな感情)」をもう少し考えてみる
私の前歴や元妻の言動などを辿っていくと、
前述ではそれは「男としてはない」と述べたが、現実それだけを意味しているわけではないようだ
それを何度か考えているうちに行き着いたことがある
それは、女特有の「ファザコン」だ
マザコンとは男に対してよく知られている言葉だが、女のファザコンは以外と軽視されている
実は状況的なものを考えてみると、女のファザコンは男のそれより深く存在している気がする
なぜなら、そもそも女が独立して何かをやろうという気などなく
生涯は何かに「頼って」生きていくみたいなのが、特にこの日本では普通だからだ
そうその「頼り癖」というものこそ、ファザコンたる深層だ
もう少しちゃんと言えば「隠れファザコン」か
誰もそのことに触れないが、それは女自身も社会の中でさえ気付かれていない
男のマザコンほど顕著には表れないであろうが、女のいう優しさとは確実にその父親的視点からのものを指しているであろうと考えられる
女はそして贅沢だ
男側もそういうことであれば、そういった感情も無くはないだろう
しかしその父親的優さ男はまた、「物足りない」として飽きられるのだ
「お父さんはいらない、私を女として扱って欲しい」とかいうしまつ
つまり時には父親として見守り時には男として滾って欲しいのだ
なんということだろうか
つまりは全面的に全てを「受身」で構えているのだ
自分から行動するなんてことはない
女は今の自分を下に見えるような行動はいっさいとろうとしない
失敗してヘマを見られるより、なにもせず今のレベルをキープしたいのだ
自分からより高みを狙うという冒険はしない
それはつねに今時点での最高の状態で見られることを望む
女その中で一番いい男と皆が「言う」男と付き合うことで自分の美貌と鮮度を確かめる
そこに自分の好みというものは存在しない
ただただ周りの評価で男をランク付けしていく
下手に恵まれた女は怖いのだ
いままで自分で何もしたことがなく、まわりはちやほやしてくれる
しかし他の女が存在すればそれはすぐさまその女との格付け争いになる
自分が一番でいなければ嫌なのだ
自分を誉めてくれないと不安なのだ
自分で飛び立てないかわいそうな女はただ良質な飼い主をひたすら待つ
自分から幸せを掴めないかわいそうな女は今が永遠を願う
売れ残ってしまうことがそれが一番女にとっての恐怖
常に周囲の中で女としてのレベルのポジションを確認し
王子様との運命の出会いをひたすら夢みる
女はただ望む
「ハンサムで金持ちで背が高くて父親の優しさをもっていて男の滾る情熱を持ち合わせる男」を
”男は貪欲なる渇望を持て”


男なら渇き飢えろ
その渇きと飢えが男のたぎる力強さを沸き起こす
渇きの無いやつは萎えて女化、ましては老化する
それは家庭を持とうが同じだ
保身にまわったやつは魅力的な仕事もできない
現状維持は女の考えることだ
男なら常に前へ進め
しかしそれは「欲望」と一緒にするな
ここでいうそれは「渇望」だ
全身から込み上げてくる満たされない感情だ
嫉妬や劣等感や屈辱感を全て渇望に変えろ
全ての男の原動力の源だ
男はいい女に認められるために必死で自分を磨くのだ
しかしだからといって傲慢はだめだ
謙虚さは男の魅力のひとつだ
渇きの目で持って女を舐め倒せ
もし女に煙たがれるようなら、更にその上から飲み干せ
少しでも相手がメスを露出したら空かさず目で犯せ
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