”女のいう優しさの本質はファザーコンプレックス”
女の言う「やさしさ(女に向けられるソフトな感情)」をもう少し考えてみる
私の前歴や元妻の言動などを辿っていくと、
前述ではそれは「男としてはない」と述べたが、現実それだけを意味しているわけではないようだ
それを何度か考えているうちに行き着いたことがある
それは、女特有の「ファザコン」だ
マザコンとは男に対してよく知られている言葉だが、女のファザコンは以外と軽視されている
実は状況的なものを考えてみると、女のファザコンは男のそれより深く存在している気がする
なぜなら、そもそも女が独立して何かをやろうという気などなく
生涯は何かに「頼って」生きていくみたいなのが、特にこの日本では普通だからだ
そうその「頼り癖」というものこそ、ファザコンたる深層だ
もう少しちゃんと言えば「隠れファザコン」か
誰もそのことに触れないが、それは女自身も社会の中でさえ気付かれていない
男のマザコンほど顕著には表れないであろうが、女のいう優しさとは確実にその父親的視点からのものを指しているであろうと考えられる
女はそして贅沢だ
男側もそういうことであれば、そういった感情も無くはないだろう
しかしその父親的優さ男はまた、「物足りない」として飽きられるのだ
「お父さんはいらない、私を女として扱って欲しい」とかいうしまつ
つまり時には父親として見守り時には男として滾って欲しいのだ
なんということだろうか
つまりは全面的に全てを「受身」で構えているのだ
自分から行動するなんてことはない
女は今の自分を下に見えるような行動はいっさいとろうとしない
失敗してヘマを見られるより、なにもせず今のレベルをキープしたいのだ
自分からより高みを狙うという冒険はしない
それはつねに今時点での最高の状態で見られることを望む
女その中で一番いい男と皆が「言う」男と付き合うことで自分の美貌と鮮度を確かめる
そこに自分の好みというものは存在しない
ただただ周りの評価で男をランク付けしていく
下手に恵まれた女は怖いのだ
いままで自分で何もしたことがなく、まわりはちやほやしてくれる
しかし他の女が存在すればそれはすぐさまその女との格付け争いになる
自分が一番でいなければ嫌なのだ
自分を誉めてくれないと不安なのだ
自分で飛び立てないかわいそうな女はただ良質な飼い主をひたすら待つ
自分から幸せを掴めないかわいそうな女は今が永遠を願う
売れ残ってしまうことがそれが一番女にとっての恐怖
常に周囲の中で女としてのレベルのポジションを確認し
王子様との運命の出会いをひたすら夢みる
女はただ望む
「ハンサムで金持ちで背が高くて父親の優しさをもっていて男の滾る情熱を持ち合わせる男」を
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