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この世は男と女のみが存在する。なぜその枠を越えた思想が必要であろうか。男と女はそもそも異なる人種である。多いに女を攻略していこうではないか!

男の悟り

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やるのかやらないのか、やると決めたらぐぢぐぢ言わない

こういった基本的な人間力が無いやつが多すぎる
それは男も女も同じだ
俺はなんだがはっきりしないやつが嫌いだ
男の魅力はその気前のよさがあるはずだ

考えるに、迷ったときの理由付けが訓練されていないのだと思う
例えば何か物を購入するときでも、その対象が自分にとってどういった意味をもたらすのかを
ある程度瞬時に解答できなければいけない
決断力というのはもともと備わっている性格ではなく、日ごろからの訓練の賜物だ

現状を変えようともせず文句ばっかり言ってるやつ
決めたこと済んだことを素直に受け入れて、とにかく次何をするかを考えろ

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”どうやって生きるか”ではなく”どうやって死ぬか”を考えろ

「将来が不安だ」「この先どうやって生きていこう」ではない
”死ぬまでの間に何ができるか”ということだ

人生は短い 80年なんてあっという間だ
またそれぞれの30代、50代という細かい区切りで考えれば
あたふたしているヒマはない
その年代にしかできないことはいっぱいあるだろう

金持ちのイケメンボンボンに嫁ぐのが夢だというならそれでもいいだろう
しかし本当の意味の始まりはその結婚した後からどう生きるかだ

幸せが長くつづくことを祈るのもいいだろう
しかし幸せとは本来自分が何か行動してその結果に得られたものなのではないか
幸せがつづくとは、その何かを行動しつづけることではないのか
人のせいばかりして何もせずただ毎日幸せが消える不安と毎日格闘しようというのか
安定とは前進しつづけることではないのか

何も目的も気力もない年金暮らし老人は本当に醜い
施設にいれられれば自分はそんなつもりはないと文句を言う
ただ死ぬのを毎日怖がって、できることを何もしようとしない

何かをすれば必ず何かを得られるはずだ
いまより必ず進歩した幸せが訪れ自分自身も前進するはずだ
保身にまわった人間は苦しみから逃げることはできない
死ぬまでに成し遂げよう確かめようと思うその情熱が魂の輝きを放つ
キーワードは「フェロモン」


グラビアやAVなどの写真で女を美しく表現しようとしているものとはまさにフェロモンそのものだ
男を「欲しそう」な眼差しを全身から発生させる
なにが言いたいかというと、男も同じだということだ
結局女もメスであり、男のフェロモンを感じて引き寄せられる
女はよく「子宮で考える」動物というが、つまりこの男から発せられるフェロモンの相性を下半身で感じ取っている
男もいい女をみると(ムスコが)ピクッと反応を示したりするが、女もまったく一緒だということだ
(女の場合はピクジワッとでもいえばいいか。細かくはどうでもいいが)
かわいい子が男の群れの前に現れるとふと一輪の花が咲いたような感じがするが、男の場合のそれもまたあるということだ


ではフェロモンはどうしたら出るのかといえば、それは簡単なこと
思春期にある生物が自然にやっていること、ただ女(異性)を強く求める感情を発するだけだ
なんども言うが、発する感情は「欲望」ではなく「渇望」だ
体の奥深くから女を強く求め、その強烈な渇きでもって女の発するフェロモンを吸い尽くすようにするのだ
そうすれば自然と全身から滾るフェロモンを放出するだろう
女を落とす目はそういった奥深く滾る目力だ
お得意の先端を突っ込むようなイメージではなく、全体を覆い尽くすようなイメージだ
男は顔ではない、表情だ
表情で男度はいくらでもアップする


しかし難しいのは、フェロモンにも好き好きがあるようだ
いわゆる「きもい」男から発されるものは、拒否反応があるようだ
それは極論を言えば、ホームレ〇のよぼよぼのじじいが、びんびんで近寄ってこられたらきっと嫌悪と恐怖が先立つだろう
まぁ例えればそんなところだ
女は特に清潔感を好む
オタクがだめなのではなく、オタクは不潔でデブでタプタプしてしまりが無いのが嫌なのだ
そういったO型的大枠で捉える思考はこの際捨てよう
男は本来引き締まった男根のイメージだ
芯が強く信念をもち無駄なものはなく引き締まっている状態
それこそが女が求める究極の男像である


オタク的なのはだめというのでは本質を見失う
ブサイクがやるから「キモイ」になる
同じ事をイケメンがやればそれは「キモチいい」に変化する
飢えてる目もイケメンがやればかっこいい
女を欲しそうな目もイケメンがやればかっこいい
SMも変体プレイもイケメンがやればかっこいい
何をされてるかではなく、誰にされているかが重要なのだ
それがオス的にえぐければえぐいほどまた良かったりする
女とはそんな生物だ


とにかく男度的に「中の上」になれ 上の上である必要な全く無い
中の上には誰でもなれる
デブはまずダイエットしてやせろ
髪型は大事なので常に爽やかなイメージを保て
そして顔のパーツではなく、表情を鍛えろ
まぁ中身を鍛えれば自然といい顔表情になるだろう
そういうのが面倒だけど女が欲しいというのなら後は金をばら撒くしかないな


結局、いい男やいい女というのは「服に着せられてる」ようではだめだろう
服というのはそのデザイナーのセンスであって、その本人のいかんではない
まぁその服のチョイスが本人だと主張したいならそれでも構わないが、
どれも同じように見えてしまうというのは、こういったところが原因であろう

個性的な組合わせがいいというわけではなく、
その人の魅力をさらに引き出すような服であればよりよいということだ

まぁ簡単に言えば「ハジケテ」いるやつはなんかカッコいいということだ
なんとなくブランドイメージにたよって「これ着てます」みたいのではなく、
自分の気分や思想をより強調してくれるというような服の選択の仕方がとてもよい気がする

服や流行のメイクに着せられてるだけの女と付き合ってもなにも得るものはない
そんな女はどうせ「安定」だとかだけを男に求めてくるはず
どうせなら、すれ違う人が振り返るようなオーラを持った2人になるべきだ

周りにどう「思われる」とかではなくて、自分自身の中にある高みのイメージだけを目指して
それを追い求めるようにしてくれ
男ならリンゴは丸ごとかじれ
いちいち小さく切って食べるのは女の食べ方だ
メロンや桃なども小ぶりなら、ナイフで表面の皮を落としながら食べられる
「片手でナイフで皮を剥ぎ左手で果実を貪る」
これが基本だ
女は常に自分にない感覚をもとめる
しかし剛胆と雑は一緒にするな
繊細かつ大胆
女はその華麗な手さばきに惚れる
”女のいう優しさの本質はファザーコンプレックス”


女の言う「やさしさ(女に向けられるソフトな感情)」をもう少し考えてみる
私の前歴や元妻の言動などを辿っていくと、
前述ではそれは「男としてはない」と述べたが、現実それだけを意味しているわけではないようだ
それを何度か考えているうちに行き着いたことがある
それは、女特有の「ファザコン」だ
マザコンとは男に対してよく知られている言葉だが、女のファザコンは以外と軽視されている
実は状況的なものを考えてみると、女のファザコンは男のそれより深く存在している気がする
なぜなら、そもそも女が独立して何かをやろうという気などなく
生涯は何かに「頼って」生きていくみたいなのが、特にこの日本では普通だからだ
そうその「頼り癖」というものこそ、ファザコンたる深層だ
もう少しちゃんと言えば「隠れファザコン」か
誰もそのことに触れないが、それは女自身も社会の中でさえ気付かれていない
男のマザコンほど顕著には表れないであろうが、女のいう優しさとは確実にその父親的視点からのものを指しているであろうと考えられる
女はそして贅沢だ
男側もそういうことであれば、そういった感情も無くはないだろう
しかしその父親的優さ男はまた、「物足りない」として飽きられるのだ
「お父さんはいらない、私を女として扱って欲しい」とかいうしまつ
つまり時には父親として見守り時には男として滾って欲しいのだ
なんということだろうか
つまりは全面的に全てを「受身」で構えているのだ
自分から行動するなんてことはない
女は今の自分を下に見えるような行動はいっさいとろうとしない
失敗してヘマを見られるより、なにもせず今のレベルをキープしたいのだ
自分からより高みを狙うという冒険はしない
それはつねに今時点での最高の状態で見られることを望む
女その中で一番いい男と皆が「言う」男と付き合うことで自分の美貌と鮮度を確かめる
そこに自分の好みというものは存在しない
ただただ周りの評価で男をランク付けしていく
下手に恵まれた女は怖いのだ
いままで自分で何もしたことがなく、まわりはちやほやしてくれる
しかし他の女が存在すればそれはすぐさまその女との格付け争いになる
自分が一番でいなければ嫌なのだ
自分を誉めてくれないと不安なのだ
自分で飛び立てないかわいそうな女はただ良質な飼い主をひたすら待つ
自分から幸せを掴めないかわいそうな女は今が永遠を願う
売れ残ってしまうことがそれが一番女にとっての恐怖
常に周囲の中で女としてのレベルのポジションを確認し
王子様との運命の出会いをひたすら夢みる
女はただ望む
「ハンサムで金持ちで背が高くて父親の優しさをもっていて男の滾る情熱を持ち合わせる男」を

恋愛とはなんだろうか結婚とはなんだろうか

動物は本能的に自分とは異なる感性・遺伝子を求めると言われる
それは種族をより強く成長させるためらし
何でもいいと言うわけではないが、確かに自分とは違う世界に住む異性には強く惹かれる気がする
自分とは違う環境で育ちそして考え方も違ってとても新鮮に感じることだろう
ただしかしそれも度が過ぎれば、無理解からの反発も起こりやすいということもあるだろう

では結婚には何を求めるのか

よくスピリチュアルなんてのでは、「運命的出会い」なんて言うが
最近それもどうなのだろうと考える
そもそも運命といっても悪い運命の場合(試練的な)もある
「家族に憩い」を求めるなんてのもあるが、
はっきりいって、この世の中は常に攻め続けないと不安で押し潰される羽目になる
守るとは前進し続けている、現在進行形の形に過ぎない
男は結婚しようが「必ず浮気」する
それは実際行為にはしろうが留まろうが、オスとしての強い本能だ
はっきり言って、それがなくなれば男としては人間的にも枯れ果てるだろう
精力的というのは、希望的条件ではなく、男としては「必須条件」だ
家族に馴染みやすい相手がいいなんて言う古い考え方もあるが、
そんなものは、オスとして人生として成長を妨げる何物でもない
つまりそれは保身への逃避の第一歩だ
私は何を隠そう、離婚もし、安定を求めて鬱病にもなった
私も同じように自分の安寧を求めその最良の相手を探し、男の本能を抑え、ありもしない優しさというものを求めた
その結果、何も守れず、この有様だ
もうそれだけは勘弁だ
人間は安定を求めだすと、相手の粗を捜し出す
自分に合うとか合わないとか、そんなものを気にしだす
そしてしまいには、俺に合わせろ、私に合わせてなんてことにもなる
それはどんなにうまくいっている者たちでもありえるはずだ
それは簡単なこと、「安定」を求めた結果だ
他人は自分には決してなれない
馴れ合いがだんだん相手を一人の人間として見れなくなっていく
私は結婚とは、人生の勉強のひとつではないかと考えている
自分と合うとかいう人間を探すことではなく、結婚をした後にその人間との間に生じるだろう問題をどう考えそして自分の血肉に変えていくかだと思う
どんな人間とでも摩擦は必ず発生する
それならば、初めから「合う人間」なんてのを探すのは無意味ではないか
それならば自分にとって刺激的で飽きの来ない人間と生活をする方がよっぽど楽しい人生ではないだろうか
大事なのは、相手を一人の人間として扱いそして共に敬意を払うことなのではないだろうか

ではどのレベルまで(異なる)は許されるのか

基本的にレベルというものはないだろう
自分が長年生を共にして、嫌にならない感性を持っている人間が好ましいだろう
つまり自分がプラス的(心地良い)に感じる要素を多く持っている人間だ
そういう意味ではマイナス要素があまり無い方がいいだろうが、
ただ性格やS〇Xの相性は結構大事な気がする
自分が好きな体位に対して相手に欠点があるとかは、結構後々そのもどかしさは響いてくる
性格はこうだとうまく言えないが、性格無視してただやりたいだけの女とかだと苦労しそうな気がする
気が強くて傲慢とか基本的人間としての性分が悪い感じ
それが好きだという場合は別だが
そこもまぁ好きずきなのだろう
どうしても譲れない部分というのをその2点の中ではっきりさせとくのがいいだろうと思う
私の場合(どうでもいいが)口元と下元(秘部)が綺麗な子が好きなのだが、その二箇所は前妻には難があり、S〇Xレスっぽくなっていた
まぁどちらかというとそういう意味では、S〇Xの相性の方が男としては重要なような気もしてきたな
その上で、性格や感性は良ければ良いほどいいというわけかな
まぁそんな感じだろう
(私は背は高めなのだが、そのせいか小さくて細めの子が好きなのでそういう子を考えてみようと思う。独り言)

浮気について

これは私は、男にも女でも「あり」ではないかと考えるようになった
男は先に述べた通りだが、女と言えども飽きることもあるだろう
あまり深く考えずに食欲の延長だと思えばそれほど落ち込むこともないだろうと感じる
そこに信頼だの裏切りだのというものを巻き込むからおかしくなる
まぁつけるものはつけないとそれ位はお互い気を使うところだろう
なんでもそうだが、「絶対」なんてのを期待することが良くないのだろうと感じる

恋愛というものに関して

どんどんやればいいと思う
まさに「気になったものを食す」という感じだ
2股だろうが3股だろうがそんなのお構いないだろう
恋愛にそれ以上のものを求めるのが本来おかしなことだ
ただそれは邪険に扱うということではない
ひとりひとりは親身になって話を交わし扱うということだ
一緒に過ごす時間は人生の中で有効なものにすべきだ
色んな人と色んな風に付き合えばいい
別れた後でも友人として交流すればいいし、別れた男女は生涯の別れなんてそんなのは本来おかしなことだ
メディアの影響もひどすぎる
「恋人への執着」とかいうのも、そういった感情を感じ考えること自体が人生なのではないかという気がする
「失恋歌」というものほど悪いものはない
ましてはそれに「浸る」など言語道断だ
というかいい女いい男はそこら中にいるじゃないか
落ち込むヒマは全然ないぞ
食べて食べて食べまくれ!男ども女ども
まぁ私の場合カウンセリングも趣味だったりするので、より多くの人と接したいというのもあるが


”男は貪欲なる渇望を持て”


男なら渇き飢えろ
その渇きと飢えが男のたぎる力強さを沸き起こす
渇きの無いやつは萎えて女化、ましては老化する
それは家庭を持とうが同じだ
保身にまわったやつは魅力的な仕事もできない
現状維持は女の考えることだ
男なら常に前へ進め
しかしそれは「欲望」と一緒にするな
ここでいうそれは「渇望」だ
全身から込み上げてくる満たされない感情だ
嫉妬や劣等感や屈辱感を全て渇望に変えろ
全ての男の原動力の源だ
男はいい女に認められるために必死で自分を磨くのだ
しかしだからといって傲慢はだめだ
謙虚さは男の魅力のひとつだ
渇きの目で持って女を舐め倒せ
もし女に煙たがれるようなら、更にその上から飲み干せ
少しでも相手がメスを露出したら空かさず目で犯せ

”劣等感に苛まれたら女の闇の部分を見透かせ”


女は本質的に男よりタフである
それは子供を産むということからもわかる
気迫や煌びやかさなどで張り合おうとしても、それは絶対適わないことだ
そんな女からの劣等感に負けそうになったら、相手の闇を見ろ
闇とはつまり弱みの部分だ
女は基本的に理論が確立していない
男が唯一勝てるのはそこだ
そのために、必ずどこかで歪の部分を持ち合わせている
それは悩みかもしれないし、何かのコンプレックスかもしれない
大概の女はいい女に見られようと、虚勢を張っている
外見は快活だが、実は落ち込むことが多いとか
体型の悩みとか将来が不安だとか探せばいくらでもあるだろう
目の奥で覗く感じだ
ばれたかもしれないというような素振りを見せたらしめたもの
女に対する男の目力とは本来そんなものなのかもしれない
可憐な子でも悩みを人に話せず一人で頑張っちゃってる子とかは以外と多い
「闇の眼」を持て
きっと君の武器のひとつになるだろう


”いきなし上玉狙いは辛い”


女は結構磨けばひかる
そのひかり方は男の度量そのものでもある
女の子も現在急に可愛くなったわけではなく、段階を踏んで今に至っているはず
であったときはそうでなくても、磨き次第でどうにでもなる
女は変わる
まず手ごろなところから始めて、彼女とともに己のレベルも上げてしまえ
彼女が結構見れる位になっている頃、きっと君も男前度は上がっているはず
そうやって、つきあう女のレベルを上げていく
いい女と付き合っているというのは、その結果的なものでしかない
昔に上玉と思っていた女がレベルアップした君はもうその時点ではそう思えていないかもしれない
その渇望の連続が結果的に男度をあげていく
なぜなら男はロマンと理想に生き、現状に満足しない生物だから
 


”得意分野を持て”


手頃なところで満足しているようではだめだ上玉を狙え
しかし上玉といっても結構えり好みはする
女にも色んなタイプがいるし、その全てに満遍なくもてようとか思うと失敗するぞ
自分の得意分野の中だけ見ても、結構可愛い子はいるはず
その筋の上玉狙いがいい
無理に自分にないジャンルの子を狙うのは難しい
結局なんだ言って、相手の好みに入っていない場合は頑張っても実になりにくい
スポーツでも音楽でもましては学歴や経済力を武器にしてでもいい
そういった共通の趣味や自信の一つは相手との壁を崩しやすくしてくれるはずだ
 


最近の娘を観察していて思うのは、男の女性化の影響なのか
どこか同世代の男に対し、物足りなさを感じることが多いようだ
その根拠のひとつとして、年の離れた男と付き合う若い子が増えているというのがある
そういう意味でも、本質を理解した「おとこ」はとにかくチャンスである
自分にとりついた無意識的な女化(または女に振回される)現象を自覚し、
本質的(エスコーター:男の役割)な男の魅力を鍛え、女の心をコントロールし、いい女をかっさらおう
特に必要なのは、理解力と心理学だ
男に必要なのは、「女の心を注意深く洞察し、少しずつ、そして焦らず動かしていく」ことだ
必ず女は女として扱い感じて欲しい


新宿のホストを見ているととても勉強になる
モテるホストは理解力に裏づけされた「目力」をもっている
男は顔ではない
例え一重でも癖毛でも、表情とそしてその洞察の目力だ
女は見透かされるのに弱い


女は手強いぞ
男同士で争いあうのは、止めよう不毛だ
男は対女のための良き「同士」であり「仲間」である
たがいに協力して”いい女”を獲得していこうではないか
 


”SEXは女を喜ばす為にある”


性欲はどんどん鍛えろ
頭で生きる男にとって妄想によるオナニーは「男の美学」だ
けれどもなるべく挿入以外のものを追求しろ
挿入のみのSEXでは、男度は上がることはない
既婚者であれば、それはまたマンネリになりやすいだろう
できれば女がよがる内容に興奮するようにしろ
ク〇ニ、緊バク、目隠し、前ギ、開キャク・・・挿入以外ならなんでもいい
裸の女の美しさ質感を存分に味わうようにすればいい
男は先端で感じるが、女は体全体が性感帯だ
言わばスパやエステなどの感じの身を預ける感覚だ
なんだかんだいって結局女はSEXが好きだ
草食男子では何もかもが衰えてくるし、いざという時につまらない男になる
何にしろ、男の魅力のひとつの「活力」がでなくなる
自分が一回で飽きてしまうようなら、人ではなく女体そのものを感じるようにしろ
いい男はまたいいSEX(時には野性的に)ができなければいけない
女のフェロモン・愛液・臭気…何から何までを吸い尽くせ
そして愛撫から突きまでの中で女を己の男色に隈なくそして強く染めあげろ
女が己のオスで見えなくなる位、体全身の細胞という細胞全てに自分の男波を打ち込め
その上で駄目押しの如く全精力を込めて一回一回力強いビームの突きを女の脳天に打ち込め
オナニーは決して恥じる行為ではなく感性の問題だ
センスのいい妄想と性欲を持ち合わせる男は、それもまたオーラの一つとしてにじみ出ているものだ
女はまたそういうものにも敏感だ
エ□い女はそのフェロモンから魅力的に感じることからもわかる
極論をいえば、男の魅力は「思想と性欲」

 


”モテナイ男は自分の衝動で行動する”


女は自分だけを見ているということに、非常に満足する
ひとつ踏み込んだ次元での気配りは効果絶大だ
例えば「親身になって聞く」ということだ
男は誉め方(言葉)も鍛えてほしい
ただかわいいだけでなく、「どう」かわいいのか
可愛いのではなく、それは綺麗と表現されるべきではないかとか
そしてそれについてもありきたりではなく、男としての思想をその言葉にのせる
そこに女は男としての深みを感じる
性欲で自分を見失い、ひたすら突っ走るやつがいるが、
動物的衝動を抑えたところにこそ、人間的な部分の美しさがはじめて見える
その状態で感じる目でもって女性を観察し、その魅力を表現しよう
女はただやりたいだけの男の感覚には非常に敏感だ
つまりは、性欲でない目でならいくらでも女性を「観て」いいのである

 


”男は思想で生き、女は優しさで生きる”


つまりそういうことである
男は頭で行動し、女は感情で行動する
女には理屈は通らない、ただ好きか嫌いかだけである

「女を男と同じように扱っては失敗する」
女は男とは別の生物として扱う必要があるということである
男は決して女を理解することはできないし、またその逆も同じである
女のその場の思いつきのせりふに振回されてはいけない(言動を軽視しろという意味ではない)

女はよく「男に優しさを求める」が、男には本来女性のもつようなやさしさという感覚を持ち合わせていない
男のそれは優しさではなく、受け皿(度量)の大きさである
女のような優しさを追求しようとすると、男として失敗する
優しいだけの男なんていわれたら最悪だ
女は自分にないもの、つまり理論・思想・器(度量)を男の魅力として感じる
自分にへこへこしている男はいらない
女の求めるような優しさは、男としては全く必要ない
言うなれば男の(結果的な)優しさというのは、男と女の関係の上での優しさだ
男と女に友情は必要ない
女もまた男のいう友愛を理解できない
ただ男と女は惹かれるかそうでないかだけだ
女は「母性本能」を優しさと感じる
男にそんな感覚はない
男にとってのそれは「(優しさ=)理解」だ
自分の思想でもって全て行動し、時には拒否することも必要
そこに手の届かないもどかしさの駆け引きがある
いくら女性を立てようとも、お互いの立場は絶対である
ただ下僕となり女をのさばらすようではだめだ
男は劣ではあるが、下ではない
あくまでコントロールの一環としての劣であり
水面下での指導権は男の自分が握る
しかしたまに、「ウソでもいいから優しくして欲しい」という時があり、
それに関してはだけは確実に信号を受け取り、必ず望み通りにしてあげてくれ
そこは、男の「度量」と「理解力」の見せ所
拒否る場合もあくまで、相手の心のコントロールの一環として捉えて欲しい
つまり拒否った方がいい(または問題ない)場合だけである
女の優しさの感情をくすぐるようになれば、かなりの上級者である
女を理屈で理解し、器で包み込む
男は決して女になれない
男と女に友情は必要ない
女友達は決して作るな
そんなもの作った時点から、君の中の「男」は崩壊をはじめる
どんな間柄でも、男と女の関係は崩れる事はない
それは例え、知り合いの既婚の女性であってもだ
どんな女性(子供から婆さんまで)に対しても男として接し、惚れさせておけばいい
行為に移らなければそれは不倫にはならない
何度も言うようだが、女に理屈はない
言葉では違うとは言っているが、女はただメスの感情のみで生きている
結婚していようが仕事の関係だろうが、女はメスの目でもって男を見ている
チャンスはいくらでもある
男の「勢い・若々しさ」というのもそういったものから作られる
しかしだからといって、オスの感情だけで評価をしてはいけない
年行った女性でも魅力的な女性はいっぱいいる
それはまた「人間的な魅力」だったりするかもしれないが、
必ずしも下半身の衝動だけが、その基準ではない
そのような根源的魅力を理解できないようでは、いい女を手に入れることはできない

 


”自分の為にではなく、隣を歩くエスコーターとしての男を磨け”


自分の為に自分を着飾ってはだめだ
隣を歩く女性のファッションが引き立つように服を選び、レベルを合わせるべきだ

しかし相手が金持ちのお嬢様だからといって、高級品を揃えるということではない
大事なのは「シュチュエーション」がどうかということだ
つまりどこに行くのか(ドレスコード)ということだ

ちょっとした外のデートでスーツを着込む必要は全くないが、高級店に行くとか言うのなら少し考えてもいいだろう
しかし女性というのは、なにより「無様(ぶざま)」なのが嫌いだ
無理して高いものを羽織ってバランスを崩すよりも、感じの良い(体型にあっている)服をスマート(細いという意味ではない)に着こなしている方を好む

ゼニアのスーツで背伸びするよりも、GAPのシャツGパンブーツとかで無難に着こなしている方が全然受けがいい
ただ女という生物は贅沢で、単に自分に合わせてるだけというのも嫌う
そこにちゃんと自分なりの男としての思想が含まれていないとダメなのである
自分がこうしたいと思ったからなんて行動してはだめだ
あくまで「相手の心の動きを注意深く監察し、コントロールする」のが目的だ

 


”男は見る生物で、女は見られる生物だ”


「見て欲しい男」になるな
男は、女から「見られるために」努力しているようではだめだ
見られるべきは女の方であって、男ではない

女性は見られて美しくなり輝く
男は女性の美しさをいかに理解し引き立たせられているかが「真の男度」だ
自分が「かっこうをつけて」、女の方を一度も見ないなんてのは、もっとも最悪だ

気に入った女性をたとえ「凝視する位」でも、女にとっては決して行き過ぎではない
見られた男のことは、”必ず”気になるからだ

女からたとえ見られて嫌な素振りをされても決してメげるな
劣等感潰されてはいけない
常に女性が「優」である状態と姿勢を保て
どうしてもモテナイやつというのは、そこで「諦めてしまう」やつだ
男は常に「劣」でいい
しかし下僕という意味ではなく、対等の上で故意的に一歩引いた状態

というより、見られて悪い気がしてるわけがない
なぜなら女も同じように、関心事の大半は「男」だからだ
 


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