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恋愛とはなんだろうか結婚とはなんだろうか
動物は本能的に自分とは異なる感性・遺伝子を求めると言われる
それは種族をより強く成長させるためらし
何でもいいと言うわけではないが、確かに自分とは違う世界に住む異性には強く惹かれる気がする
自分とは違う環境で育ちそして考え方も違ってとても新鮮に感じることだろう
ただしかしそれも度が過ぎれば、無理解からの反発も起こりやすいということもあるだろう
では結婚には何を求めるのか
よくスピリチュアルなんてのでは、「運命的出会い」なんて言うが
最近それもどうなのだろうと考える
そもそも運命といっても悪い運命の場合(試練的な)もある
「家族に憩い」を求めるなんてのもあるが、
はっきりいって、この世の中は常に攻め続けないと不安で押し潰される羽目になる
守るとは前進し続けている、現在進行形の形に過ぎない
男は結婚しようが「必ず浮気」する
それは実際行為にはしろうが留まろうが、オスとしての強い本能だ
はっきり言って、それがなくなれば男としては人間的にも枯れ果てるだろう
精力的というのは、希望的条件ではなく、男としては「必須条件」だ
家族に馴染みやすい相手がいいなんて言う古い考え方もあるが、
そんなものは、オスとして人生として成長を妨げる何物でもない
つまりそれは保身への逃避の第一歩だ
私は何を隠そう、離婚もし、安定を求めて鬱病にもなった
私も同じように自分の安寧を求めその最良の相手を探し、男の本能を抑え、ありもしない優しさというものを求めた
その結果、何も守れず、この有様だ
もうそれだけは勘弁だ
人間は安定を求めだすと、相手の粗を捜し出す
自分に合うとか合わないとか、そんなものを気にしだす
そしてしまいには、俺に合わせろ、私に合わせてなんてことにもなる
それはどんなにうまくいっている者たちでもありえるはずだ
それは簡単なこと、「安定」を求めた結果だ
他人は自分には決してなれない
馴れ合いがだんだん相手を一人の人間として見れなくなっていく
私は結婚とは、人生の勉強のひとつではないかと考えている
自分と合うとかいう人間を探すことではなく、結婚をした後にその人間との間に生じるだろう問題をどう考えそして自分の血肉に変えていくかだと思う
どんな人間とでも摩擦は必ず発生する
それならば、初めから「合う人間」なんてのを探すのは無意味ではないか
それならば自分にとって刺激的で飽きの来ない人間と生活をする方がよっぽど楽しい人生ではないだろうか
大事なのは、相手を一人の人間として扱いそして共に敬意を払うことなのではないだろうか
ではどのレベルまで(異なる)は許されるのか
基本的にレベルというものはないだろう
自分が長年生を共にして、嫌にならない感性を持っている人間が好ましいだろう
つまり自分がプラス的(心地良い)に感じる要素を多く持っている人間だ
そういう意味ではマイナス要素があまり無い方がいいだろうが、
ただ性格やS〇Xの相性は結構大事な気がする
自分が好きな体位に対して相手に欠点があるとかは、結構後々そのもどかしさは響いてくる
性格はこうだとうまく言えないが、性格無視してただやりたいだけの女とかだと苦労しそうな気がする
気が強くて傲慢とか基本的人間としての性分が悪い感じ
それが好きだという場合は別だが
そこもまぁ好きずきなのだろう
どうしても譲れない部分というのをその2点の中ではっきりさせとくのがいいだろうと思う
私の場合(どうでもいいが)口元と下元(秘部)が綺麗な子が好きなのだが、その二箇所は前妻には難があり、S〇Xレスっぽくなっていた
まぁどちらかというとそういう意味では、S〇Xの相性の方が男としては重要なような気もしてきたな
その上で、性格や感性は良ければ良いほどいいというわけかな
まぁそんな感じだろう
(私は背は高めなのだが、そのせいか小さくて細めの子が好きなのでそういう子を考えてみようと思う。独り言)
浮気について
これは私は、男にも女でも「あり」ではないかと考えるようになった
男は先に述べた通りだが、女と言えども飽きることもあるだろう
あまり深く考えずに食欲の延長だと思えばそれほど落ち込むこともないだろうと感じる
そこに信頼だの裏切りだのというものを巻き込むからおかしくなる
まぁつけるものはつけないとそれ位はお互い気を使うところだろう
なんでもそうだが、「絶対」なんてのを期待することが良くないのだろうと感じる
恋愛というものに関して
どんどんやればいいと思う
まさに「気になったものを食す」という感じだ
2股だろうが3股だろうがそんなのお構いないだろう
恋愛にそれ以上のものを求めるのが本来おかしなことだ
ただそれは邪険に扱うということではない
ひとりひとりは親身になって話を交わし扱うということだ
一緒に過ごす時間は人生の中で有効なものにすべきだ
色んな人と色んな風に付き合えばいい
別れた後でも友人として交流すればいいし、別れた男女は生涯の別れなんてそんなのは本来おかしなことだ
メディアの影響もひどすぎる
「恋人への執着」とかいうのも、そういった感情を感じ考えること自体が人生なのではないかという気がする
「失恋歌」というものほど悪いものはない
ましてはそれに「浸る」など言語道断だ
というかいい女いい男はそこら中にいるじゃないか
落ち込むヒマは全然ないぞ
食べて食べて食べまくれ!男ども女ども
まぁ私の場合カウンセリングも趣味だったりするので、より多くの人と接したいというのもあるが
”劣等感に苛まれたら女の闇の部分を見透かせ”
女は本質的に男よりタフである
それは子供を産むということからもわかる
気迫や煌びやかさなどで張り合おうとしても、それは絶対適わないことだ
そんな女からの劣等感に負けそうになったら、相手の闇を見ろ
闇とはつまり弱みの部分だ
女は基本的に理論が確立していない
男が唯一勝てるのはそこだ
そのために、必ずどこかで歪の部分を持ち合わせている
それは悩みかもしれないし、何かのコンプレックスかもしれない
大概の女はいい女に見られようと、虚勢を張っている
外見は快活だが、実は落ち込むことが多いとか
体型の悩みとか将来が不安だとか探せばいくらでもあるだろう
目の奥で覗く感じだ
ばれたかもしれないというような素振りを見せたらしめたもの
女に対する男の目力とは本来そんなものなのかもしれない
可憐な子でも悩みを人に話せず一人で頑張っちゃってる子とかは以外と多い
「闇の眼」を持て
きっと君の武器のひとつになるだろう
”いきなし上玉狙いは辛い”
女は結構磨けばひかる
そのひかり方は男の度量そのものでもある
女の子も現在急に可愛くなったわけではなく、段階を踏んで今に至っているはず
であったときはそうでなくても、磨き次第でどうにでもなる
女は変わる
まず手ごろなところから始めて、彼女とともに己のレベルも上げてしまえ
彼女が結構見れる位になっている頃、きっと君も男前度は上がっているはず
そうやって、つきあう女のレベルを上げていく
いい女と付き合っているというのは、その結果的なものでしかない
昔に上玉と思っていた女がレベルアップした君はもうその時点ではそう思えていないかもしれない
その渇望の連続が結果的に男度をあげていく
なぜなら男はロマンと理想に生き、現状に満足しない生物だから
”得意分野を持て”
手頃なところで満足しているようではだめだ上玉を狙え
しかし上玉といっても結構えり好みはする
女にも色んなタイプがいるし、その全てに満遍なくもてようとか思うと失敗するぞ
自分の得意分野の中だけ見ても、結構可愛い子はいるはず
その筋の上玉狙いがいい
無理に自分にないジャンルの子を狙うのは難しい
結局なんだ言って、相手の好みに入っていない場合は頑張っても実になりにくい
スポーツでも音楽でもましては学歴や経済力を武器にしてでもいい
そういった共通の趣味や自信の一つは相手との壁を崩しやすくしてくれるはずだ
最近の娘を観察していて思うのは、男の女性化の影響なのか
どこか同世代の男に対し、物足りなさを感じることが多いようだ
その根拠のひとつとして、年の離れた男と付き合う若い子が増えているというのがある
そういう意味でも、本質を理解した「おとこ」はとにかくチャンスである
自分にとりついた無意識的な女化(または女に振回される)現象を自覚し、
本質的(エスコーター:男の役割)な男の魅力を鍛え、女の心をコントロールし、いい女をかっさらおう
特に必要なのは、理解力と心理学だ
男に必要なのは、「女の心を注意深く洞察し、少しずつ、そして焦らず動かしていく」ことだ
必ず女は女として扱い感じて欲しい
新宿のホストを見ているととても勉強になる
モテるホストは理解力に裏づけされた「目力」をもっている
男は顔ではない
例え一重でも癖毛でも、表情とそしてその洞察の目力だ
女は見透かされるのに弱い
女は手強いぞ
男同士で争いあうのは、止めよう不毛だ
男は対女のための良き「同士」であり「仲間」である
たがいに協力して”いい女”を獲得していこうではないか
”SEXは女を喜ばす為にある”
性欲はどんどん鍛えろ
頭で生きる男にとって妄想によるオナニーは「男の美学」だ
けれどもなるべく挿入以外のものを追求しろ
挿入のみのSEXでは、男度は上がることはない
既婚者であれば、それはまたマンネリになりやすいだろう
できれば女がよがる内容に興奮するようにしろ
ク〇ニ、緊バク、目隠し、前ギ、開キャク・・・挿入以外ならなんでもいい
裸の女の美しさ質感を存分に味わうようにすればいい
男は先端で感じるが、女は体全体が性感帯だ
言わばスパやエステなどの感じの身を預ける感覚だ
なんだかんだいって結局女はSEXが好きだ
草食男子では何もかもが衰えてくるし、いざという時につまらない男になる
何にしろ、男の魅力のひとつの「活力」がでなくなる
自分が一回で飽きてしまうようなら、人ではなく女体そのものを感じるようにしろ
いい男はまたいいSEX(時には野性的に)ができなければいけない
女のフェロモン・愛液・臭気…何から何までを吸い尽くせ
そして愛撫から突きまでの中で女を己の男色に隈なくそして強く染めあげろ
女が己のオスで見えなくなる位、体全身の細胞という細胞全てに自分の男波を打ち込め
その上で駄目押しの如く全精力を込めて一回一回力強いビームの突きを女の脳天に打ち込め
オナニーは決して恥じる行為ではなく感性の問題だ
センスのいい妄想と性欲を持ち合わせる男は、それもまたオーラの一つとしてにじみ出ているものだ
女はまたそういうものにも敏感だ
エ□い女はそのフェロモンから魅力的に感じることからもわかる
極論をいえば、男の魅力は「思想と性欲」だ
”モテナイ男は自分の衝動で行動する”
女は自分だけを見ているということに、非常に満足する
ひとつ踏み込んだ次元での気配りは効果絶大だ
例えば「親身になって聞く」ということだ
男は誉め方(言葉)も鍛えてほしい
ただかわいいだけでなく、「どう」かわいいのか
可愛いのではなく、それは綺麗と表現されるべきではないかとか
そしてそれについてもありきたりではなく、男としての思想をその言葉にのせる
そこに女は男としての深みを感じる
性欲で自分を見失い、ひたすら突っ走るやつがいるが、
動物的衝動を抑えたところにこそ、人間的な部分の美しさがはじめて見える
その状態で感じる目でもって女性を観察し、その魅力を表現しよう
女はただやりたいだけの男の感覚には非常に敏感だ
つまりは、性欲でない目でならいくらでも女性を「観て」いいのである
”男は思想で生き、女は優しさで生きる”
つまりそういうことである
男は頭で行動し、女は感情で行動する
女には理屈は通らない、ただ好きか嫌いかだけである
「女を男と同じように扱っては失敗する」
女は男とは別の生物として扱う必要があるということである
男は決して女を理解することはできないし、またその逆も同じである
女のその場の思いつきのせりふに振回されてはいけない(言動を軽視しろという意味ではない)
女はよく「男に優しさを求める」が、男には本来女性のもつようなやさしさという感覚を持ち合わせていない
男のそれは優しさではなく、受け皿(度量)の大きさである
女のような優しさを追求しようとすると、男として失敗する
優しいだけの男なんていわれたら最悪だ
女は自分にないもの、つまり理論・思想・器(度量)を男の魅力として感じる
自分にへこへこしている男はいらない
女の求めるような優しさは、男としては全く必要ない
言うなれば男の(結果的な)優しさというのは、男と女の関係の上での優しさだ
男と女に友情は必要ない
女もまた男のいう友愛を理解できない
ただ男と女は惹かれるかそうでないかだけだ
女は「母性本能」を優しさと感じる
男にそんな感覚はない
男にとってのそれは「(優しさ=)理解」だ
自分の思想でもって全て行動し、時には拒否することも必要
そこに手の届かないもどかしさの駆け引きがある
いくら女性を立てようとも、お互いの立場は絶対である
ただ下僕となり女をのさばらすようではだめだ
男は劣ではあるが、下ではない
あくまでコントロールの一環としての劣であり
水面下での指導権は男の自分が握る
しかしたまに、「ウソでもいいから優しくして欲しい」という時があり、
それに関してはだけは確実に信号を受け取り、必ず望み通りにしてあげてくれ
そこは、男の「度量」と「理解力」の見せ所
拒否る場合もあくまで、相手の心のコントロールの一環として捉えて欲しい
つまり拒否った方がいい(または問題ない)場合だけである
女の優しさの感情をくすぐるようになれば、かなりの上級者である
女を理屈で理解し、器で包み込む
男は決して女になれない
男と女に友情は必要ない
女友達は決して作るな
そんなもの作った時点から、君の中の「男」は崩壊をはじめる
どんな間柄でも、男と女の関係は崩れる事はない
それは例え、知り合いの既婚の女性であってもだ
どんな女性(子供から婆さんまで)に対しても男として接し、惚れさせておけばいい
行為に移らなければそれは不倫にはならない
何度も言うようだが、女に理屈はない
言葉では違うとは言っているが、女はただメスの感情のみで生きている
結婚していようが仕事の関係だろうが、女はメスの目でもって男を見ている
チャンスはいくらでもある
男の「勢い・若々しさ」というのもそういったものから作られる
しかしだからといって、オスの感情だけで評価をしてはいけない
年行った女性でも魅力的な女性はいっぱいいる
それはまた「人間的な魅力」だったりするかもしれないが、
必ずしも下半身の衝動だけが、その基準ではない
そのような根源的魅力を理解できないようでは、いい女を手に入れることはできない
”自分の為にではなく、隣を歩くエスコーターとしての男を磨け”
自分の為に自分を着飾ってはだめだ
隣を歩く女性のファッションが引き立つように服を選び、レベルを合わせるべきだ
しかし相手が金持ちのお嬢様だからといって、高級品を揃えるということではない
大事なのは「シュチュエーション」がどうかということだ
つまりどこに行くのか(ドレスコード)ということだ
ちょっとした外のデートでスーツを着込む必要は全くないが、高級店に行くとか言うのなら少し考えてもいいだろう
しかし女性というのは、なにより「無様(ぶざま)」なのが嫌いだ
無理して高いものを羽織ってバランスを崩すよりも、感じの良い(体型にあっている)服をスマート(細いという意味ではない)に着こなしている方を好む
ゼニアのスーツで背伸びするよりも、GAPのシャツGパンブーツとかで無難に着こなしている方が全然受けがいい
ただ女という生物は贅沢で、単に自分に合わせてるだけというのも嫌う
そこにちゃんと自分なりの男としての思想が含まれていないとダメなのである
自分がこうしたいと思ったからなんて行動してはだめだ
あくまで「相手の心の動きを注意深く監察し、コントロールする」のが目的だ
”男は見る生物で、女は見られる生物だ”
「見て欲しい男」になるな
男は、女から「見られるために」努力しているようではだめだ
見られるべきは女の方であって、男ではない
女性は見られて美しくなり輝く
男は女性の美しさをいかに理解し引き立たせられているかが「真の男度」だ
自分が「かっこうをつけて」、女の方を一度も見ないなんてのは、もっとも最悪だ
気に入った女性をたとえ「凝視する位」でも、女にとっては決して行き過ぎではない
見られた男のことは、”必ず”気になるからだ
女からたとえ見られて嫌な素振りをされても決してメげるな
劣等感潰されてはいけない
常に女性が「優」である状態と姿勢を保て
どうしてもモテナイやつというのは、そこで「諦めてしまう」やつだ
男は常に「劣」でいい
しかし下僕という意味ではなく、対等の上で故意的に一歩引いた状態
というより、見られて悪い気がしてるわけがない
なぜなら女も同じように、関心事の大半は「男」だからだ